2011/年の瀬/京都祇園・東山/奈良・橿原磐余池堤跡
年が明けました、皆様お元気で幸多き年となりますように。
今年もよろしくお願い申し上げます。
ところで、先回のブログの続き、先日、近鉄電車に乗って大和八木経由で京都に行った。
久々の京都駅、15年ほど前に国際指名コンペで選ばれた原広司の設計によるものだ。当時は古都、京都の景観論争にも発展した話題作だと記憶している。
見慣れてしまったのか、時が経つとあまり違和感はない。
今回は、京都観光のスタンダードコースの一つ、「祇園・東山エリア」を散策した。
年の瀬というのに、清水寺周辺は人車でごったがえしていた。坂の風景は昔と変わらず、やはり素晴らしい。昔と比べて違うのは、中国人観光客が多くなったことぐらいだろうか。
久々に八坂神社・円山公園・知恩院・経由で祇園白川、切り通しの方に歩いていった。
祇園白川付近は、映画のセットの一場面にいるような風情だった。感動。高瀬川も同様、川とその周辺の建築群も綺麗なのだ。
祇園の「目やみ地蔵、仲源寺」にお参りしてから、四条河原町、先斗町の小道を歩いた。
ここは京の花街で、夜は一層華やかな雰囲気になるところだ。
ふと気になって、小道の幅を計ってみた、歩くたびに、遊歩道としていいスケール感だと思っていたので。。。ちょうど一間、1820だった。ヒューマンスケールなのだ。
京都散策の後、実家に立ち寄って、翌日、藤原京跡地経由で、磐余池堤跡とみられる発掘現場に行った。行ってみると、そこは以前、時々山菜とりに出掛けた場所だった。
実家から、自転車で20分程度で着いた。
偶然、調査員の方がいらっしゃたので、ここが磐余池堤跡、発掘現場であることを確認しようと思って声をかけた。ここが発掘現場であるとの返答と、親切にも簡単な発掘現場の説明もいただいた。
以前、時々山菜とりに出掛けた丘は、磐余池の中島(出島)として借景となっていると推測されるとのことだった。
磐余池堤跡、発掘現場は、その時、ブルーシートに覆われ、周囲を仮囲いに囲われて、みれなかったの残念だったが、自然の地形をいかした当時の磐余池のイメージは、現地に立って周囲の地形を見れば、一目瞭然に想像できた。
ブルーシートに覆われているところが、磐余池堤跡、発掘現場。やや左奥の小高い丘の左右に池が広がっていた
磐余池堤跡、発掘現場より借景となった小高い丘を望む(自筆スケッチ)
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